推しの存在
こんにしば~
ついにこの回がきたか!
という気持ちだ。
みなさんには、”推し”という存在がいる、またはあるだろうか?
この”推し”という存在が人生において、どのような存在であるか、話そうと思う。
と言っても、世の中には程度というものが存在する。
私は、長いアイドルヲタクの中、軽度のものから重度の推しがいた。
どういう意味やねんと思うかもしれないが、推しへののめりこみ度と理解してほしい。
私の場合、推しとは、
「生きがい!すべての源!」
だった。
「生きがい!」に推しの存在を共感する人は、割と重度と思っていい(失礼)。
まずは、「すべての源」について解説しよう。
きっと、アイドルじゃなくても、人じゃなくても、”推し”があるものには共感するかもしれない。
①笑顔の源
みなさんは最近いつ笑ったり、笑顔になりましたか?
友達と話して、ご飯を食べに行ってなんて人もいるかもしれない。
会社の飲み会で。ふむふむ(・_・D フムフム
家族とテレビを見ていて。なるほど。
Youtubeを見ていて。わかる。
全然最近笑ってないな、という人もいるかもしれない。
それは、なんとなくですが、人生においてもったいない気もする。
個人的な感想だが。
”推し”という存在は、笑顔をくれる。
例えば、アイドルなら、推しの笑顔な姿を見るだけで笑顔になる、超コスパいい。
例えば、アニメなら、推しがその回に出てくれるだけで嬉しいが思ぬところで活躍し、かっこよかったら、可愛かったら笑顔になる。
例えば、推しのバンドが新曲を出すとなったら嬉しくて笑顔になる、気がする。
ごめんなさい。笑顔とかかっこいい言葉使ったが、正直、私は、「にやける」に近い、いえ、にやけていた。
②やる気の源!
あぁ~仕事やる気でねぇ~
勉強やるきでねぇ~
バイトやるきでねぇ~
生きていると、やる気のでねぇ~ってときが
たくさんある。
でも、今週末、推しに会える!推しのライブ!
それだけで、今週だけでもマッハで頑張れる。なぜだろう。
ちなみに私は明日(18日)発売のポケモンの新作発売にわくわくしていたので、
今週のお仕事とても頑張れた。
あとは、私はアイドルに推しがいたとき、見た目に少しでも気を使っていたので、お肌のお手入れや筋トレもやるきでねぇ~ときもあった。
ただ推しにほめられることがあったので余計に頑張れた。
(いまやめっきり。。。。。。)(推しが卒業してから6キロ太った)
③行動の源
これは分野によるかもしれないが、私は格段に行動力が付いた。
いわゆる「フットワークの軽いやつ」。
全国津々浦々、友達がいなくても推しに会いたく遠征していた。
もちろん土地の観光をしたり、食べ物もかなり食べた。
普通はこんなに旅行行くことないだろうなぁと思っている。
私はそうじゃなくてもどちらかというと引きこもりだ。
ポケモンGOが引きこもりを外に出した!と似ているかもしれない。笑
④人間関係の源
これも分野による。
同じ好きなものを追いかける、10個以上年上の方から、10個くらい下の子と絡む。
ご飯へ行ったり、一緒にライブを見たり。
年上の方とご飯へ行くと、礼儀を学ぶ。
社会人になる前にこれを経験できてよかった。
年下の子といると、年を忘れて楽しめる。
まさに青春なのだ。
人間関係が苦手な人もいるだろう。
ただ、人とのかかわりが少ないと、何が起きるか。
自分の視野が狭くなってしまう。
世の中には人の数だけ人生がある。
不思議なことに全く同じ人生を歩むことは誰にもできないのだ。
ただ、自分が直面した人生の難題に似た経験をしたひとがいるかもしれない。
それは、年下なのか、年上なのかわからない。
ただ苦しいときに、その解決策のヒントを少しでも早く見つけるには人間関係が多い方がいい。
必要ない人間関係も確かに存在する。
だから、そのようなことを見分けられるようになるにも多くの人に出会うといい。
私は推しのおかげでたくさんの人と関わり、7~8年の付き合いがあるひともいる。
ずっと仲良くしたいと思うヲタク友達はSNSでつながり、ライブがなくてもご飯へ行ったり、飲みに行ったりする。
話す内容も、出会った当初は推しメンに関することばかりだったのが、恋人の話だったり、家族の悩みだったり、仕事の話だったり、もはやただの友達である。
だから、私には、学校の友達と、元バイト先の友達と、元同僚の友達と、そして、ヲタク友達がいるのだ。
親にも、ヲタク友達ってどんな存在?と聞かれるほど不思議な存在だ。
これからも大切にしたい。
ここまでが「すべての源!」である。
もしかしたらもっと推しに対して、こんなことの源だよ!という方もいるのかな。
知りたい。
ここからは「生きがい!」。
いやなんか、殆ど「すべての源!」に被る。
なんなら、生きる源!で完結する。
笑顔になるのも、やる気がでるのも、行動力も、人間関係も、生きていくうえで大切なわけで。
推しがいなかったら、笑顔になれる回数も減り、やる気も出ないし、引きこもるし、人ともかかわらない。
推しのために生きてる。
いや、推しに生かされている。
私、少し重い話になるが、コロナ始まった2020年。
仕事がなくなり、人とも会話がなくなり、家族にも、友達にも、もちろん推しにも、ヲタクにも会えない状況で、軽いうつ病になった。
海外に行こうとしていたのも絶たれた。
お先真っ暗で。
シにたくてしょうがなかった。
毎日、部屋の掃除をして、できるだけ荷物も捨てて、準備をしていた。
そこで、どうせシぬなら会いたい人に会ってからにしようと思って、コロナ渦でもあってくれる友達に会ったり、芸能人はオンラインイベントに参加していた。
そして最後、直接会えるというので、会いに行ったのが、最後の推しメン。
ハマって、シぬことを忘れ、ひたすら追いかけた。
推しの存在は楽しいだけじゃない。
これは”推し”への思入れがやや重度よりの人が共感する。
「同担拒否(同担拒否 - Wikipedia)」という言葉がある。
”推し”を”担当”と表現する界隈の言葉で、簡単に言うと、同じ推し(担当)を推す人を拒否する人のことだ。
私はちなみに同担大好き。同推しか。
気持ちはわかる。
嫉妬なのだ。
自分が及ばない、勝てない、と思うと胸が苦しくなる。
この感情がむしろストレス。
でも推しは生きがい。排除すべきは、同担(同推し)だ。
あとかなり重度な私は、「なんでそんなことするの??ちゃんと運営にいいなよ!!」みたいな、思い通りにならない推しメンに対して苦しかった。
全通とか、それが義務になると途端に楽しくなくなる。
SNSの投稿もあんなに嬉しかったのに、今じゃ、あの携帯が鳴るとビクッとする、そんな経験もある。
一つ言えるのは、もし推しをちゃんと”推し”として見ているのなら、推しのことを考えてあげること。
自分のうんこみたいな感情はいったんトイレに流して、楽しむことを考えましょう。
過激な感情でヲタクしているころ、「最前で見なきゃ」「全通しなきゃ」「SNSコメントしなきゃ」と何かと苦しく、ライブが楽しくなくなり、逃げ出したことがあった。
ただ何もこの子たちの歴史も知らずに楽しんでいるやつらも許せなかった。
最低な古参。
だから最後の推しメンは、今自分が会いたいか、で毎回直前でライブに行くか行かないかを決めていた。
もしチケットが売切れれば運命だと悟った。
そして、なにより、私を生かしてくれて、笑顔にしてくれて、行動力をつけてくれて、やる気をくれて、人間関係をくれて、ありがとうと感謝の気持ちを忘れなかった。
感謝の気持ちを、忘れちゃいけないんだ。
推しとは私にとってそんな存在です。
今日も読んでいただきありがとうごじざいます<(_ _)>